タイという国には2度長く住んだことがある。1度目はバンコクとチェンマイの中間あたりに位置する地方都市、そこの大学で日本語を教えた。2度目はそれから10年後、バンコクでの勤務だった。バンコクで勤務しているときの出来事である。妻と小学4年生の娘と一緒にバンコクに住んでいたが、ある日、娘を大きな病院に連れて行った。確か耳鼻科の受診だったと思う。バンコクの大病院は医療ツーリズムで中東などの国からたくさんの患者さんがやってくるくらい、技術も設備も整っているとの評判であった。いろいろな国から患者が訪れるので、医師とのコミュニケーションために、いろいろな言語、英語、フランス語、中国語、韓国語、アラビア語などの通訳者も常時依頼できるようになっていた。日本語もあったのでタイ語ができない私はその時日本語の通訳者を依頼したのだ。やがて通訳者がやってきた。そしてお互いに顔を見るなり、
「あっ、先生!」
「あれ、タナポーンさん!」と声を上げた。
1度目に勤務した大学でいっしょに日本語を学習した教え子がこの病院の通訳者になっていたのだ。
「ええー、先生の通訳ですかあ、恥ずかしいですう。」と彼女。
「久しぶりだね、通訳をしているんだ、すごいねえ。」とわたし。
そんなやり取りをしながら、診察を受ける。耳鼻科だから「外耳道」とか「鼓膜」とか、難しい医療用語もそつなく日本語に通訳してくれた。
「タナポーンさん、ほんとにわかりやすい通訳で、どうもありがとう。立派になっていてうれしいです。」
「そうですか、先生の通訳なのでとても緊張しました。でも喜んでもらえてよかったです。」
10年以上たってからの教え子との再会がこのような形で実現してほんとに感無量だった。大学で学習した日本語に、社会に出てからさらに磨きをかけて立派な生業としている姿を見ることができた。きっと大学で学んだだけでは通訳の仕事、それも医療通訳という特殊な分野の仕事をするのは簡単ではないと思う。おそらく想像以上の努力をしてきたんだろうなあと感じた、うれしい瞬間であった。