2023年11月25日土曜日

「あたし」でも「ぼく」でもない

#タイ #みうらたかし

 タイの中部にある地方大学で教えていた時のこと。日本語での自分の呼び方についての話で、ふつうは「わたし」を使うが、友達同士などでは、女の人は「あたし」を、男の人は「ぼく」という言い方をする人も多くいる、などと紹介した。すると学生の一人が「せんせい! カッカナーン(仮名)さんは、何を使えばいいですか。」と質問した。カッカナーンさんは、いわゆるトランスジェンダー、体は男性だが、気持ちは女性かもしれない、といった学生だった。わたしが何と返事をしようかと思っていると、当のカッカナーンがとても明るい声で「せんせい!「ぼくし」はどうでしょうか。」と言ったのだ。「ぼく」の末尾に「あたし」の「し」を追加したのだろう。ほかの学生たちはそれを聞いて、「なるほど、それいいねえ」といいながら、うなずいていた。わたしはただにこにこしているばかりであった。

タイという国は、その理由は定かには知らないが、こういったトランスジェンダーの方々が、自分を隠すことなく生きていける社会であるように、私は感じている。町のあちらこちらで明らかにそうと思われる人々が、違和感なく暮らしているのをよく見かける。周りの人達もほんとに普通である。そういう社会に希望をもって世界中から人が集まってきているという話も聞いたことがある。

大学の教室にもいつも何人かはそういう学生がいる。教室の中でも、ご本人も周りの学生たちも、特に何の違和感もなく、日常を過ごしている。素敵な社会だな、と思ったことを思い出した。


2023年11月16日木曜日

センセ、ニホンゴ、ムズカシッ!

 #バングラデシュ #1990 #ご当地語 #日本語ムズカシイ #名前 #HOSHI TORU


ニホンゴムズカシイ問題の第2弾。バングラデシュの教え子(女子)の話。

バングラデシュ人の自慢の一つは「ベンガル文字は世界中のあらゆる言語を記述できる」と言うことなのだが、それが正しいか正しくないかはここでは問題にしない。私が教えていたダッカ大学現代言語研究所の学生はモスリム系の男子学生が大半で、女子は少数だし、ヒンドゥー系の学生も少数であった。しかし、私の教え子の中に、「ビューティー」と言う名の、ヒンドゥー系の女子学生がいた。当時のバングラデシュの流行なのかどうかわからないが、特にヒンドゥー系の女の子で、BeautyLovelyなどカワイイ系の英単語をベンガル文字に直した名前を時々見かけた。保守的で戒律に厳しいヒンドゥー教徒にしては意外な気もするが、さしずめ日本のキラキラネームみたいな感覚で、かわいい我が子の名づけのトレンドになっていたのかもしれない。実はビューティーというベンガル文字の表記を、自分の乏しいベンガル語の知識で分解し、ひらがなに再構成すると「びうてぃ」と言った感じだ。なーんだ、カタカナのほうがbeautyに近いんじゃないかと無意味な優越感に浸ったものだが、それはさておき、このびうてぃが、それはそれは美しい女子(おなご)、我々が思い描くインド系の若き美女の要素をすべて兼ね備えていたのだ。どのくらい美しいかと言うと・・・(ここで私が下手な描写をするよりは、「インド系の若き美女」を、皆さんが各自思い描いて頂ければよいかと・・・。)

さて、このインド系の若き美女びうてぃが、日本語の授業に来たのは後にも先にもほんの1、2回だったのだが、その1回目の授業の時、この絶世の美女が次のようにのたまったのである。曰く、『センセ、ニホンゴ、ムズカシッ。』もちろん、このようなコメントはかつて何十人もの教え子から耳にタコができるほど聞きなれてはいたのだが、なにぶんびうてぃであるし、この時、びうてぃはそう言いながらプイと拗ねたように顔を後ろに背けたのだ。その姿があまりに愛らしいので、つい「ごめんね、先生が悪かった、次はもっと易しくしてあげるからね」と言いそうになった。なにぶん、私もその当時すでにけっこうなおじさんに達するお年ごろであり、愛らしい女子に対する耐性と言うものがすっかり弱まっていた時期で、その女子のしぐさにメロメロになった忘れられない瞬間であった。

2023年11月8日水曜日

まあ、いいや

 

#タイ #1997 #かん違い #ご当地語 #発音 #日本語ムズカシイ #HOSHI TORU

 

日本語教師ならだれでも経験があるだろうが、日本語コースの初級後半とか、中上級ぐらいになった学生から「日本語は難しい」とか「難しすぎる」とか、弱音とも抗議ともつかないコメントを聞かされることがある。時によっては初級の最初の段階から、そういうことを言ってくる学生がクラスに一人ぐらいいることもある。そうしたときにどういうリアクションをとるかは教師によっていろいろだと思うが、私の場合、おおむね「日本語が難しいんじゃなくて外国語はみんな難しいんだよ。あなたたちは日本語が難しいと思っているけれど、私から見れば○○語(学生の母語)のほうがずっと難しいと思うよ。私の○○語より、あなたの日本語のほうが100倍じょうずだよ。」というような答えでお茶を濁している。あるいは居直り方式をとって「難しいでしょ?だから勉強するんでしょ?簡単なら学校に来なくても一人で出来るでしょ?難しいから面白いんじゃないかな。」みたいな。実のところ、一番声を大にして言いたいのは「日本語が難しいだって?そんなの私のせいじゃないから」と言い放ってしまいたいのだが。

タイのバンコック郊外にあるタイ商工会議所大学と言う、比較的裕福な会社経営者の子女たちが多く通う大学の日本語学科で教えていた時がある。ある夏、普段の日本語専攻の学生ではなく、他学科の教養科目として日本語の短期コースを担当したことがある。ほとんどはゼロ初級の学生ばかりで、初日はお決まりの挨拶と自己紹介から入るはずだった。ところが出席をとり終わって、いざ授業にかかろうというところで、1人の男子学生が「先生、日本語は難しいですね。」と英語で話しかけてきた。ゼロ初級なので英語なのだが、その当時のタイでは英語でコミュニケーションの取れる学生はそれほど多くなかった。ゼロ初級なのになぜ日本語が難しいという判断ができるのか興味深かったが、私はとりあえず上に書いたような受け答えをして、早く授業に入ろうと若干苛ついていた。英語でやり取りをしているうちに、もう授業時間が15分以上過ぎてしまっていた。ほかの学生の手前もあり、このやりとりをもういい加減切り上げたかったのだ。そこで、彼はまだ何か言っていたが、私は「まあ、いいや。それでは、みなさん・・・。」と全員にむかって切り出した。すると、件の男子学生が、どうやらさらに食い下がってきた。今度はタイ語で「ヤーㇰ!ヤーㇰ!」と言っている。『ヤーㇰ』がタイ語で「むずかしい」の意味だということは知っていた。語末の小さい「ㇰ」はいわゆる内破音と言って、破裂音の「ク」と調音点は同じだが、息を外に出さず口の中で呑み込むように発音するので、外からは実際には聞こえない。

「そうか!」その時私は気が付いた。私が「まあいいや」と言ったのを彼はタイ語の「マイ ヤーㇰ」(「むずかしくない。」マイは否定の助動詞)と聞いたのだ。日本語の(関東語の)イントネーションで「まあいいや」と言うと、まさしくタイ語の、正しい声調の「マイ ヤーㇰ」の発音に聞こえてしまうのだ。

2023年11月6日月曜日

相互理解のための日本語!

 #ドイツ #2004年 #愛・家族・友情 #日本語学習理由 #HOSHI TORU

授業中は一向に存在感がないが、授業が終わるとがぜん存在感を発揮する生徒がいる。またそれとは別に、授業中も授業外も常に影が薄いが、あるエピソードのためにどうしても忘れられないという生徒もいる。

ドイツのケルンに国際交流基金が運営する日本文化会館というものがあり、そこで開講していた一般向け日本語講座で一時教えていたことがある。その講座に通ってくる生徒はケルン市内及び周辺の大学に通う学生や社会人が多く、各国の一般向け日本語講座のなかでは男子生徒の比率が比較的高いのが特徴かと思う。

学習動機の多くは趣味だったり、日本文化に対する関心だったりだが、その当時のドイツでは日本文化と言ってもまだJ-POPやアニメよりも、日本美術や禅、KUROSAWAやKITANO(たけし)に代表される日本映画などに関心が高かった。盆栽が趣味という生徒も多かった。また「希少言語」(!)への関心から日本語を学ぶという生徒も何人かいた。

また日本人女性と結婚した旦那さんが、奥さんや子供と日本語で話したいという健気な理由から講座の門をたたくというケースも珍しくなかった。教室でかなり浮いていたある若い研修医の男子生徒から、一度「ご家族でうちに遊びに来てください」としつこく誘われて根負けし、ある日妻と子供を伴って訪ねると、奥さんは日本人で5歳ぐらいの娘さんとの3人暮らし、家ではドイツ語より日本語が優勢言語で、旦那はマイノリティー化しており、彼がなかなか日本語が上達しないことが奥さんにはかなり不満であることが時間を追うごとに判明してきた。今回の招待も奥さんがすべて計画した(仕組んだ?)ことであった。ともあれ、その晩は奥様の手作りの日本料理をおいしくいただきながら、奥様の日本語での愚痴とのろけをたくさん聞かせていただいた。ごちそうさまでした。その後、彼の家族とは文字通り家族ぐるみのお付き合いをしてもらい、何度も楽しい時を過ごさせていただいた。教室ではほかの生徒の手前、お互いポーカーフェースを決め込んだが、彼はその後多忙のため講座を休みがちになり、まもなく中退してしまった。彼にとって、あるいは奥様にとって、彼の日本語講座受講の目的はすでに達成されたのかもしれない。

同じ日本語講座にそれまで熱心に通っていた別の男の学生が、ある日の授業前にやってきて、「(日本人の)恋人と別れたので、今日でもう日本語はやめます。」というのだった。私はそれを聞いて、「なんだって!そんなことで、せっかく今まで頑張った日本語をやめていいの?てゆーか、今まで、そんな不純な(!)、軟弱な(!)理由で講座に通ってきていたわけ?」と内心腹を立てた。しかし、今考えてみると、それはまさに、この上なくまっとうな、正当な、純粋な、学習動機にちがいない。これこそが『相互理解の日本語』でなくして一体何であろう。

わたしはシチズンオブザワールドじんです。

 #パプアニューギニア #1993年 #地球市民 #かけだし教師 #みうらたかし


これもニューギニア大学で駆け出しの日本語教師を何とか頑張っていたころの話です。夕方の入門のクラスにはニューギニア大学の学生だけでなく、公開講座として一般の方の受講も認めていました。ニューギニアの人だけでなくインドやインドネシア、オーストラリア、ガーナなど仕事やなんらかの事情でニューギニアの地に住んでいる人達が日本語を学びに来ていました。ニューギニアで国際色豊かで、興味深かったことを覚えています。

初級のクラスなので、初めのころは自分のこと、名前や職業、家族、どこの国から来たのか、などを話す授業をやっていました。その日は教科書に出ている「〇〇人」という言い方を学習し、参加者みなさんで自分はどこの国から来たかを話す練習をしていました。

「みうらさんはなにじんですか。」「わたしは日本人です。」→「マンディさんはなにじんですか」「わたしはパプアニューギニア人です。」といった感じでチェーンドリルをしていました。

「マリアさんはなにじんですか。」

学習者の一人が隣に座っていた、ガーナから来ていたマリアさんに聞きました。するとマリアさんは、「わたしはシチズンオブザワールド人です。」と、にこにこ笑いながら胸を張っておっしゃったのです。

日本語教師になりたてのわたしは最初少し戸惑いましたが、彼女の意図は明らかだったので、

「そうですか、シチズンオブザワールドは地球市民といいます。」といって、みんなで「地球市民」という言葉を練習しました。

1990年代の話ですが、わたしはそれまで世界中にいろいろな人が、いろいろな立場で、いろいろな生活環境で、いろいろな思いを持って暮らしていることはあまりよく意識していなかったと思います。

このガーナから来ているマリアさんは、おそらくそんな私の日本語のクラスに参加してみて、日ごろから「どうしてだろう」と感じることもきっとあったのでしょう。それが「シチズンオブザワールド人です。」という反応になって表れたんだと思います。

駆け出しの未熟な日本語教師にとって、とても大切な忘れられない瞬間でした。


私の忘れられない瞬間!

 このブログは海外で日本語を教えたり、海外で日本語を学ぶ人たちと関わったことのある日本語教師の、現地での忘れられない瞬間を共有する場所です。 あの時、あの場所での、忘れられない瞬間、心から離れないエピソード、目に焼き付いた情景、人生の宝物のような永遠に止まった時間・・・etc.e...