#バングラデシュ #1990 #ご当地語 #日本語ムズカシイ #名前 #HOSHI TORU
ニホンゴムズカシイ問題の第2弾。バングラデシュの教え子(女子)の話。
バングラデシュ人の自慢の一つは「ベンガル文字は世界中のあらゆる言語を記述できる」と言うことなのだが、それが正しいか正しくないかはここでは問題にしない。私が教えていたダッカ大学現代言語研究所の学生はモスリム系の男子学生が大半で、女子は少数だし、ヒンドゥー系の学生も少数であった。しかし、私の教え子の中に、「ビューティー」と言う名の、ヒンドゥー系の女子学生がいた。当時のバングラデシュの流行なのかどうかわからないが、特にヒンドゥー系の女の子で、BeautyやLovelyなどカワイイ系の英単語をベンガル文字に直した名前を時々見かけた。保守的で戒律に厳しいヒンドゥー教徒にしては意外な気もするが、さしずめ日本のキラキラネームみたいな感覚で、かわいい我が子の名づけのトレンドになっていたのかもしれない。実はビューティーというベンガル文字の表記を、自分の乏しいベンガル語の知識で分解し、ひらがなに再構成すると「びうてぃ」と言った感じだ。なーんだ、カタカナのほうがbeautyに近いんじゃないかと無意味な優越感に浸ったものだが、それはさておき、このびうてぃが、それはそれは美しい女子で、我々が思い描くインド系の若き美女の要素をすべて兼ね備えていたのだ。どのくらい美しいかと言うと・・・(ここで私が下手な描写をするよりは、「インド系の若き美女」を、皆さんが各自思い描いて頂ければよいかと・・・。)
さて、このインド系の若き美女びうてぃが、日本語の授業に来たのは後にも先にもほんの1、2回だったのだが、その1回目の授業の時、この絶世の美女が次のようにのたまったのである。曰く、『センセ、ニホンゴ、ムズカシッ。』もちろん、このようなコメントはかつて何十人もの教え子から耳にタコができるほど聞きなれてはいたのだが、なにぶんびうてぃであるし、この時、びうてぃはそう言いながらプイと拗ねたように顔を後ろに背けたのだ。その姿があまりに愛らしいので、つい「ごめんね、先生が悪かった、次はもっと易しくしてあげるからね」と言いそうになった。なにぶん、私もその当時すでにけっこうなおじさんに達するお年ごろであり、愛らしい女子に対する耐性と言うものがすっかり弱まっていた時期で、その女子のしぐさにメロメロになった忘れられない瞬間であった。
0 件のコメント:
コメントを投稿