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2023年11月6日月曜日

わたしはシチズンオブザワールドじんです。

 #パプアニューギニア #1993年 #地球市民 #かけだし教師 #みうらたかし


これもニューギニア大学で駆け出しの日本語教師を何とか頑張っていたころの話です。夕方の入門のクラスにはニューギニア大学の学生だけでなく、公開講座として一般の方の受講も認めていました。ニューギニアの人だけでなくインドやインドネシア、オーストラリア、ガーナなど仕事やなんらかの事情でニューギニアの地に住んでいる人達が日本語を学びに来ていました。ニューギニアで国際色豊かで、興味深かったことを覚えています。

初級のクラスなので、初めのころは自分のこと、名前や職業、家族、どこの国から来たのか、などを話す授業をやっていました。その日は教科書に出ている「〇〇人」という言い方を学習し、参加者みなさんで自分はどこの国から来たかを話す練習をしていました。

「みうらさんはなにじんですか。」「わたしは日本人です。」→「マンディさんはなにじんですか」「わたしはパプアニューギニア人です。」といった感じでチェーンドリルをしていました。

「マリアさんはなにじんですか。」

学習者の一人が隣に座っていた、ガーナから来ていたマリアさんに聞きました。するとマリアさんは、「わたしはシチズンオブザワールド人です。」と、にこにこ笑いながら胸を張っておっしゃったのです。

日本語教師になりたてのわたしは最初少し戸惑いましたが、彼女の意図は明らかだったので、

「そうですか、シチズンオブザワールドは地球市民といいます。」といって、みんなで「地球市民」という言葉を練習しました。

1990年代の話ですが、わたしはそれまで世界中にいろいろな人が、いろいろな立場で、いろいろな生活環境で、いろいろな思いを持って暮らしていることはあまりよく意識していなかったと思います。

このガーナから来ているマリアさんは、おそらくそんな私の日本語のクラスに参加してみて、日ごろから「どうしてだろう」と感じることもきっとあったのでしょう。それが「シチズンオブザワールド人です。」という反応になって表れたんだと思います。

駆け出しの未熟な日本語教師にとって、とても大切な忘れられない瞬間でした。


2023年10月24日火曜日

恐るべき鼻声リピート:パプアニューギニア大学の学生たち


#パプアニューギニア #1993年 #健康 #発音 #かん違い #日本語地球カフェ #みうらたかし

海外日本語教育学会提供YoTubeラジオ「にほんご地球カフェ」コートジボアール編で安高さんがお話になっていたことと似たような経験が私にもあったことを思い出しました。ちょこっと書いてみます。 

 ずいぶん前の話だが太平洋ニューギニア島の東半分にあるパプア・ニューギニアという国の、唯一の総合大学パプア・ニューギニア大学で日本語を教えていたことがある。日本から5000キロ余り離れたその島国での生活は短い紙面では語り切れない多くの逸話があるのだ、きょうはわたしの日本語教室で実際にあった忘れられない瞬間の話である。

 パプア・ニューギニア大学はもう一度言うが、私がいた当時はこの国唯一の総合大学であった。全国から選りすぐられた優秀な学生が集まっている。この国には言語が700もあるといわれていて、学生たちもみんな一人で4つも5つも言語を操る。自分の出身部族の言葉すなわち母語、学校教育はすべて英語で行われているので流暢な英語、山間部の共通語であるニューギニピジン、沿岸部の共通語であるモツ語、それに器用な人は母方の部族語や隣の部族のことばも話す人もいた。つまりもともと異なる言語を理解したり話したりするのはお手の物という感じだ。

 ある日わたしはひどい風邪にかかっていた。咳が出て鼻が詰まり少し体もだるかったのだが、なにせ日本語の教師はここには私一人である。無理をして授業に出た。教室に入れば元気な学生たちがいるのでいつもと変わらず授業した。

わたし:「はい、わたしの後からいってください。あしたオーストラリアへいきます。」

学生全員:「あしだ、オースドラリアへいきむあす。」

この瞬間わたしは何が起こったのか大変困惑した。学生たちのリピートが見事な鼻声だったのだ。それも全員同じようなきれいな鼻声で、「あしだ、オースドラリアへいきむあす。」

 そうか、わたしはひどい風邪で鼻が詰まっていたので、私のモデルがひどい鼻声だったのだ。それにしても、学生たちの耳の良さには感服だ。みんな語学の習得には慣れているとは思ったが、ここまで正確に音をまねることができるとは。

 その日はもう発話練習をすることはあきらめて、文化の話や文字の練習をすることにした。ここには日本語教師は私一人、在住の日本人も本当に少ない。つまり私の日本語が、日本語のすべてであるといっても過言ではないのだ。なにかしら肝に銘ずる出来事であった。

私の忘れられない瞬間!

 このブログは海外で日本語を教えたり、海外で日本語を学ぶ人たちと関わったことのある日本語教師の、現地での忘れられない瞬間を共有する場所です。 あの時、あの場所での、忘れられない瞬間、心から離れないエピソード、目に焼き付いた情景、人生の宝物のような永遠に止まった時間・・・etc.e...