2024年3月30日土曜日

私の忘れられない瞬間!

 このブログは海外で日本語を教えたり、海外で日本語を学ぶ人たちと関わったことのある日本語教師の、現地での忘れられない瞬間を共有する場所です。

あの時、あの場所での、忘れられない瞬間、心から離れないエピソード、目に焼き付いた情景、人生の宝物のような永遠に止まった時間・・・etc.etc.をみんなで紹介しあって、ワクワク・ドキドキしたり、ゲラゲラ笑ったり、しんみり考えさせられたりしましょう。

読んだ感想や、自分もこんなことがあったよと言うコメントや質問など、どしどしコメント欄に書いてください。



わたしの声はパオーン

 

長年日本語教師をやっているといろいろな仕事を経験する。教材作りはきっとみなさんやったことがあるのではないだろうか。教材作りといっても授業で使う簡単な練習問題のようなものから長い時間かけて開発する1冊の教科書、最近ではオンラインで日本語を学ぶためのウェブサイトやツール、アプリの開発までいろいろなものがあると思う。

 ある国で教科書の制作を手伝っていた時のこと。原稿もすべてそろい、あとは音声の録音だけという段階になっていた。日本語発音のチェックのために一緒に来てほしいと現地の先生に頼まれて録音スタジオについて行った。声優さんはみなさんボランティアの日本人協力者だったが最近の若い人はこういうことになれているのか、何も問題なく録音を終え、オフィスに戻った。しばらくして担当の先生がこまった顔で私に言った。

「先生、一つ録音するのを忘れていました。」

「ええ、そうですか。」

「ここには日本人は先生だけですから、今からその部分だけおねがいしてもいいですか。」

わたしは仕方がないので、「はい、私の声でよければお手伝いします。」

「よかった、それじゃあ、原稿はこれです。」

原稿を見てわたしはおもわず、「ええっ、これですか。わかりました。がんばります。」

原稿には、①パオーン、②ワンワン、③ニャーニャー、④コケコッコー、⑤ヒヒーン、などと書かれていた。

その教科書は今でも某国で販売されていて、多くの学習者がそれを使って日本語の勉強をしている。音声データも豊富で評判もいいと聞いている。日本語では動物の鳴き声はどういうのか、今日も誰かが私の声を聴いて学習している。

2024年1月14日日曜日

やってきた病院の通訳者は教え子だった

 タイという国には2度長く住んだことがある。1度目はバンコクとチェンマイの中間あたりに位置する地方都市、そこの大学で日本語を教えた。2度目はそれから10年後、バンコクでの勤務だった。バンコクで勤務しているときの出来事である。妻と小学4年生の娘と一緒にバンコクに住んでいたが、ある日、娘を大きな病院に連れて行った。確か耳鼻科の受診だったと思う。バンコクの大病院は医療ツーリズムで中東などの国からたくさんの患者さんがやってくるくらい、技術も設備も整っているとの評判であった。いろいろな国から患者が訪れるので、医師とのコミュニケーションために、いろいろな言語、英語、フランス語、中国語、韓国語、アラビア語などの通訳者も常時依頼できるようになっていた。日本語もあったのでタイ語ができない私はその時日本語の通訳者を依頼したのだ。やがて通訳者がやってきた。そしてお互いに顔を見るなり、

「あっ、先生!」

「あれ、タナポーンさん!」と声を上げた。

1度目に勤務した大学でいっしょに日本語を学習した教え子がこの病院の通訳者になっていたのだ。

「ええー、先生の通訳ですかあ、恥ずかしいですう。」と彼女。

「久しぶりだね、通訳をしているんだ、すごいねえ。」とわたし。

そんなやり取りをしながら、診察を受ける。耳鼻科だから「外耳道」とか「鼓膜」とか、難しい医療用語もそつなく日本語に通訳してくれた。

「タナポーンさん、ほんとにわかりやすい通訳で、どうもありがとう。立派になっていてうれしいです。」

「そうですか、先生の通訳なのでとても緊張しました。でも喜んでもらえてよかったです。」

 

10年以上たってからの教え子との再会がこのような形で実現してほんとに感無量だった。大学で学習した日本語に、社会に出てからさらに磨きをかけて立派な生業としている姿を見ることができた。きっと大学で学んだだけでは通訳の仕事、それも医療通訳という特殊な分野の仕事をするのは簡単ではないと思う。おそらく想像以上の努力をしてきたんだろうなあと感じた、うれしい瞬間であった。

 

2023年12月13日水曜日

親分、失礼いたします。

#韓国 #2000 #かん違い #敬語 #スーパー学習者 #HOSHI TORU


 日本語学習のレベルに応じて、学習する方も気になるポイントが違うのは言うまでもない。学習レベルも「上級」から「超級」を目指すぐらいになると、「敬語をちゃんと使わなければ」と気にし始めるらしい。昔、韓国の日本大使館主催の日本語講座で教えていた時の事、上級クラスの授業で、ある学生が日本に研修に行っていた時のエピソードを語ってくれた。彼は韓国外交部(日本で言えば外務省)所属の若い外交官で、まあエリート中のエリートと言ってよかったのではないかと思う。話す日本語の流暢さもほかのクラスメートから抜きんでていた。彼の語ったエピソードは以下の通り。

 彼が日本についたばかりのころ、あるレストランで食事をしていたときのこと。彼は所用で電話をしなければならなかったのを思い出した。(その当時、携帯電話と言うものはすでに存在していたが、現在ほど普及していたわけではなく、少なくとも彼はその時、携帯電話を持ってはいなかった)。そこで、この店に公衆電話があるはずと思い、ウエイターを読んで尋ねることにした。彼は初めての日本滞在で、とにかくきちんと丁寧な話し方をしなければと緊張していた。彼は言った『すみませんが、お電話、ありますか?』。それを聞いたウエイターはちょっと困った表情で答えた。『申し訳ございません。おでんは・・・当店では、ちょっと・・』

 また別の晩、翌日が休暇だったので、以前韓国で知り合った日本人の友人に会いたいと思い、その友人から聞いていた自宅の電話番号に電話してみた。時刻は午後8時を回っていた。彼は友人の家族に失礼があってはならないと思い、緊張が高まっていた。電話がつながり、友人の家族らしい声が聞こえたので、彼はこう切り出した。『あ、もしもし、あの、ええ、お夜分、し、失礼いたします』・・・すると、電話の向こうで数秒間の沈黙が流れた後、電話は静かにぷつんと切れた。

 これが彼の語ったエピソードである。この後、教室は、私も含めて、爆笑の渦に包まれた。実はこれが彼の日本での実際の体験談なのか、それとも作り話なのかはわからない。ただいずれにしても、日本語の使い手としての彼の才能には舌を巻くほかはなかった。その後の彼は、おそらく、敏腕の外交官として、その日本語力をいかんなく発揮したのだろうと思う。

2023年11月25日土曜日

「あたし」でも「ぼく」でもない

#タイ #みうらたかし

 タイの中部にある地方大学で教えていた時のこと。日本語での自分の呼び方についての話で、ふつうは「わたし」を使うが、友達同士などでは、女の人は「あたし」を、男の人は「ぼく」という言い方をする人も多くいる、などと紹介した。すると学生の一人が「せんせい! カッカナーン(仮名)さんは、何を使えばいいですか。」と質問した。カッカナーンさんは、いわゆるトランスジェンダー、体は男性だが、気持ちは女性かもしれない、といった学生だった。わたしが何と返事をしようかと思っていると、当のカッカナーンがとても明るい声で「せんせい!「ぼくし」はどうでしょうか。」と言ったのだ。「ぼく」の末尾に「あたし」の「し」を追加したのだろう。ほかの学生たちはそれを聞いて、「なるほど、それいいねえ」といいながら、うなずいていた。わたしはただにこにこしているばかりであった。

タイという国は、その理由は定かには知らないが、こういったトランスジェンダーの方々が、自分を隠すことなく生きていける社会であるように、私は感じている。町のあちらこちらで明らかにそうと思われる人々が、違和感なく暮らしているのをよく見かける。周りの人達もほんとに普通である。そういう社会に希望をもって世界中から人が集まってきているという話も聞いたことがある。

大学の教室にもいつも何人かはそういう学生がいる。教室の中でも、ご本人も周りの学生たちも、特に何の違和感もなく、日常を過ごしている。素敵な社会だな、と思ったことを思い出した。


2023年11月16日木曜日

センセ、ニホンゴ、ムズカシッ!

 #バングラデシュ #1990 #ご当地語 #日本語ムズカシイ #名前 #HOSHI TORU


ニホンゴムズカシイ問題の第2弾。バングラデシュの教え子(女子)の話。

バングラデシュ人の自慢の一つは「ベンガル文字は世界中のあらゆる言語を記述できる」と言うことなのだが、それが正しいか正しくないかはここでは問題にしない。私が教えていたダッカ大学現代言語研究所の学生はモスリム系の男子学生が大半で、女子は少数だし、ヒンドゥー系の学生も少数であった。しかし、私の教え子の中に、「ビューティー」と言う名の、ヒンドゥー系の女子学生がいた。当時のバングラデシュの流行なのかどうかわからないが、特にヒンドゥー系の女の子で、BeautyLovelyなどカワイイ系の英単語をベンガル文字に直した名前を時々見かけた。保守的で戒律に厳しいヒンドゥー教徒にしては意外な気もするが、さしずめ日本のキラキラネームみたいな感覚で、かわいい我が子の名づけのトレンドになっていたのかもしれない。実はビューティーというベンガル文字の表記を、自分の乏しいベンガル語の知識で分解し、ひらがなに再構成すると「びうてぃ」と言った感じだ。なーんだ、カタカナのほうがbeautyに近いんじゃないかと無意味な優越感に浸ったものだが、それはさておき、このびうてぃが、それはそれは美しい女子(おなご)、我々が思い描くインド系の若き美女の要素をすべて兼ね備えていたのだ。どのくらい美しいかと言うと・・・(ここで私が下手な描写をするよりは、「インド系の若き美女」を、皆さんが各自思い描いて頂ければよいかと・・・。)

さて、このインド系の若き美女びうてぃが、日本語の授業に来たのは後にも先にもほんの1、2回だったのだが、その1回目の授業の時、この絶世の美女が次のようにのたまったのである。曰く、『センセ、ニホンゴ、ムズカシッ。』もちろん、このようなコメントはかつて何十人もの教え子から耳にタコができるほど聞きなれてはいたのだが、なにぶんびうてぃであるし、この時、びうてぃはそう言いながらプイと拗ねたように顔を後ろに背けたのだ。その姿があまりに愛らしいので、つい「ごめんね、先生が悪かった、次はもっと易しくしてあげるからね」と言いそうになった。なにぶん、私もその当時すでにけっこうなおじさんに達するお年ごろであり、愛らしい女子に対する耐性と言うものがすっかり弱まっていた時期で、その女子のしぐさにメロメロになった忘れられない瞬間であった。

2023年11月8日水曜日

まあ、いいや

 

#タイ #1997 #かん違い #ご当地語 #発音 #日本語ムズカシイ #HOSHI TORU

 

日本語教師ならだれでも経験があるだろうが、日本語コースの初級後半とか、中上級ぐらいになった学生から「日本語は難しい」とか「難しすぎる」とか、弱音とも抗議ともつかないコメントを聞かされることがある。時によっては初級の最初の段階から、そういうことを言ってくる学生がクラスに一人ぐらいいることもある。そうしたときにどういうリアクションをとるかは教師によっていろいろだと思うが、私の場合、おおむね「日本語が難しいんじゃなくて外国語はみんな難しいんだよ。あなたたちは日本語が難しいと思っているけれど、私から見れば○○語(学生の母語)のほうがずっと難しいと思うよ。私の○○語より、あなたの日本語のほうが100倍じょうずだよ。」というような答えでお茶を濁している。あるいは居直り方式をとって「難しいでしょ?だから勉強するんでしょ?簡単なら学校に来なくても一人で出来るでしょ?難しいから面白いんじゃないかな。」みたいな。実のところ、一番声を大にして言いたいのは「日本語が難しいだって?そんなの私のせいじゃないから」と言い放ってしまいたいのだが。

タイのバンコック郊外にあるタイ商工会議所大学と言う、比較的裕福な会社経営者の子女たちが多く通う大学の日本語学科で教えていた時がある。ある夏、普段の日本語専攻の学生ではなく、他学科の教養科目として日本語の短期コースを担当したことがある。ほとんどはゼロ初級の学生ばかりで、初日はお決まりの挨拶と自己紹介から入るはずだった。ところが出席をとり終わって、いざ授業にかかろうというところで、1人の男子学生が「先生、日本語は難しいですね。」と英語で話しかけてきた。ゼロ初級なので英語なのだが、その当時のタイでは英語でコミュニケーションの取れる学生はそれほど多くなかった。ゼロ初級なのになぜ日本語が難しいという判断ができるのか興味深かったが、私はとりあえず上に書いたような受け答えをして、早く授業に入ろうと若干苛ついていた。英語でやり取りをしているうちに、もう授業時間が15分以上過ぎてしまっていた。ほかの学生の手前もあり、このやりとりをもういい加減切り上げたかったのだ。そこで、彼はまだ何か言っていたが、私は「まあ、いいや。それでは、みなさん・・・。」と全員にむかって切り出した。すると、件の男子学生が、どうやらさらに食い下がってきた。今度はタイ語で「ヤーㇰ!ヤーㇰ!」と言っている。『ヤーㇰ』がタイ語で「むずかしい」の意味だということは知っていた。語末の小さい「ㇰ」はいわゆる内破音と言って、破裂音の「ク」と調音点は同じだが、息を外に出さず口の中で呑み込むように発音するので、外からは実際には聞こえない。

「そうか!」その時私は気が付いた。私が「まあいいや」と言ったのを彼はタイ語の「マイ ヤーㇰ」(「むずかしくない。」マイは否定の助動詞)と聞いたのだ。日本語の(関東語の)イントネーションで「まあいいや」と言うと、まさしくタイ語の、正しい声調の「マイ ヤーㇰ」の発音に聞こえてしまうのだ。

私の忘れられない瞬間!

 このブログは海外で日本語を教えたり、海外で日本語を学ぶ人たちと関わったことのある日本語教師の、現地での忘れられない瞬間を共有する場所です。 あの時、あの場所での、忘れられない瞬間、心から離れないエピソード、目に焼き付いた情景、人生の宝物のような永遠に止まった時間・・・etc.e...