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2025年2月27日木曜日

さまよえる日本人教師

#タイ#1996 #悪夢・トラウマ #迷子 #ご当地語 #文字・数字・番号 #hoshitoru


 この歳になるまで(どの歳だ?)長い間、日本語教師をしてきたが、30年前にタイの大学で日本語を教えて以来、いまだに繰り返し見る悪夢がある。それは「ある朝」の大学の1限の授業開始の5分前という緊迫した状況からスタートする。今日の担当クラスの教室はどこだったか、教員室の壁に貼ってある教室一覧表を見るのだが、さっぱりわからない、さて困った。当時、困ったときは、いつも同僚のタイ人教師に聞けば大抵の問題は解決するのだが、朝は皆、早々に自分の受け持ちのクラスへ行ってしまい、教員室にはだれもいない。そうこうしているうちに授業開始1分前になり、ついには開始時間が過ぎてしまう。とりあえず、先週と同じ教室に行けばよいだろうと思い、教科書と大量のプリントを抱えて廊下を歩き始めるのだが、はて先週の教室は何階だったか?、地下だったか?、あてずっぽうで行ってみるが、どうもそれらしい部屋が見当たらない。他のフロアも試してみるが、日本語の授業をやっていそうなところはどこにも無い。大学の建物は巨大で、しかもいくつかの棟が複雑につながっている。いつかは自分のクラスを発見できるだろう、顔見知りの学生たちがいたら入っていって、さて何て言い訳したらいいだろう?などと考えながら、速足で歩くのだが、一向に目的地に到達しないまま授業時間が15分、20分と過ぎてゆく。そもそも自分の目的地はどこなのか。夢の中の自分は焦りながらも「まるでカフカの小説の主人公みたいだ」などとくだらない妄想に少しだけ浸る。人間、焦りが極限に達すると、どうでもいい無意味なことを考えるという「自己制御本能」が発動するらしい。「うむ、さすがにこの時間になると学生の誰かが、異変を感じて教員室へ向かっているのではないか」とは思うものの、今から教員室に戻るのにさらに20分以上かかるだろう・・・。その上、今自分がいる場所から元の教員室にちゃんと戻る自信すらない。このまま授業の終了時間まで、いやきっと永久に、自分はどこへも到達できないだろうと、まるで砂漠の中心で叫んでいるように、キャンパスの一角で絶望している自分がいる・・・というのが、ざっとかいつまんだエピソードである。 

この悪夢は、夢らしくかなりの誇張があるにしても、タイ時代に実際に経験した事実に基づいている。この経験が自分の中でトラウマとなり、夢の中での自分は、迷路のような大学構内を亡霊のように永遠にさまよい続けているのである。繰り返し見る夢は、タイの大学ばかりでなく、他の国での所属機関であったり、日本の、その時その時に所属している日本語学校だったりと、さまざまなバリエーションがある。

そもそも、なぜこのような事態に至ったのか。それはひとえに当時の(今はどうか知らない)タイという国では、日常的に使う数字がアラビア数字でなく、タイ独自の数字を使っていたからなのである。というか、より公正な言い方では、タイへ赴任する際にタイ数字を学ばなかった自分が悪かったのである。タイ数字が読めなければ、教室番号も読めず、教室が探せないことは自明の理である。あの42個の子音と9個の母音や声調記号が組み合わさったタイ文字の勉強はある程度したものの習得したとは言い難い。しかし数字のほうは十数個覚えればよいわけで、頑張ればマスターできたはずなのに、あえて覚えようとしなかった自分は、タイ数字を甘く見ていたのだ。自分の中で、「世界ではどの地域でもアラビア数字が主流で、その国独自の数字があったとしても、日本語の漢数字と同様、やや特殊なケースしか使われないのだろう」という予断があったのだ。こうした予断はものすごく危険であると、今となっては声を大にして言いたい。タイだけではない。バングラデシュなどのサンスクリット語圏や、その他の東南アジアの国でも独自の数字がある言語は珍しくない。これからアジア圏へ出かけていく皆さんには是非とも申し上げておきたい。その国の言葉はマスターしきれなくとも、とりあえず数字だけは必ず覚えて行ってください!いいですか。

2024年3月30日土曜日

わたしの声はパオーン

 

長年日本語教師をやっているといろいろな仕事を経験する。教材作りはきっとみなさんやったことがあるのではないだろうか。教材作りといっても授業で使う簡単な練習問題のようなものから長い時間かけて開発する1冊の教科書、最近ではオンラインで日本語を学ぶためのウェブサイトやツール、アプリの開発までいろいろなものがあると思う。

 ある国で教科書の制作を手伝っていた時のこと。原稿もすべてそろい、あとは音声の録音だけという段階になっていた。日本語発音のチェックのために一緒に来てほしいと現地の先生に頼まれて録音スタジオについて行った。声優さんはみなさんボランティアの日本人協力者だったが最近の若い人はこういうことになれているのか、何も問題なく録音を終え、オフィスに戻った。しばらくして担当の先生がこまった顔で私に言った。

「先生、一つ録音するのを忘れていました。」

「ええ、そうですか。」

「ここには日本人は先生だけですから、今からその部分だけおねがいしてもいいですか。」

わたしは仕方がないので、「はい、私の声でよければお手伝いします。」

「よかった、それじゃあ、原稿はこれです。」

原稿を見てわたしはおもわず、「ええっ、これですか。わかりました。がんばります。」

原稿には、①パオーン、②ワンワン、③ニャーニャー、④コケコッコー、⑤ヒヒーン、などと書かれていた。

その教科書は今でも某国で販売されていて、多くの学習者がそれを使って日本語の勉強をしている。音声データも豊富で評判もいいと聞いている。日本語では動物の鳴き声はどういうのか、今日も誰かが私の声を聴いて学習している。

2024年1月14日日曜日

やってきた病院の通訳者は教え子だった

 タイという国には2度長く住んだことがある。1度目はバンコクとチェンマイの中間あたりに位置する地方都市、そこの大学で日本語を教えた。2度目はそれから10年後、バンコクでの勤務だった。バンコクで勤務しているときの出来事である。妻と小学4年生の娘と一緒にバンコクに住んでいたが、ある日、娘を大きな病院に連れて行った。確か耳鼻科の受診だったと思う。バンコクの大病院は医療ツーリズムで中東などの国からたくさんの患者さんがやってくるくらい、技術も設備も整っているとの評判であった。いろいろな国から患者が訪れるので、医師とのコミュニケーションために、いろいろな言語、英語、フランス語、中国語、韓国語、アラビア語などの通訳者も常時依頼できるようになっていた。日本語もあったのでタイ語ができない私はその時日本語の通訳者を依頼したのだ。やがて通訳者がやってきた。そしてお互いに顔を見るなり、

「あっ、先生!」

「あれ、タナポーンさん!」と声を上げた。

1度目に勤務した大学でいっしょに日本語を学習した教え子がこの病院の通訳者になっていたのだ。

「ええー、先生の通訳ですかあ、恥ずかしいですう。」と彼女。

「久しぶりだね、通訳をしているんだ、すごいねえ。」とわたし。

そんなやり取りをしながら、診察を受ける。耳鼻科だから「外耳道」とか「鼓膜」とか、難しい医療用語もそつなく日本語に通訳してくれた。

「タナポーンさん、ほんとにわかりやすい通訳で、どうもありがとう。立派になっていてうれしいです。」

「そうですか、先生の通訳なのでとても緊張しました。でも喜んでもらえてよかったです。」

 

10年以上たってからの教え子との再会がこのような形で実現してほんとに感無量だった。大学で学習した日本語に、社会に出てからさらに磨きをかけて立派な生業としている姿を見ることができた。きっと大学で学んだだけでは通訳の仕事、それも医療通訳という特殊な分野の仕事をするのは簡単ではないと思う。おそらく想像以上の努力をしてきたんだろうなあと感じた、うれしい瞬間であった。

 

2023年11月25日土曜日

「あたし」でも「ぼく」でもない

#タイ #みうらたかし

 タイの中部にある地方大学で教えていた時のこと。日本語での自分の呼び方についての話で、ふつうは「わたし」を使うが、友達同士などでは、女の人は「あたし」を、男の人は「ぼく」という言い方をする人も多くいる、などと紹介した。すると学生の一人が「せんせい! カッカナーン(仮名)さんは、何を使えばいいですか。」と質問した。カッカナーンさんは、いわゆるトランスジェンダー、体は男性だが、気持ちは女性かもしれない、といった学生だった。わたしが何と返事をしようかと思っていると、当のカッカナーンがとても明るい声で「せんせい!「ぼくし」はどうでしょうか。」と言ったのだ。「ぼく」の末尾に「あたし」の「し」を追加したのだろう。ほかの学生たちはそれを聞いて、「なるほど、それいいねえ」といいながら、うなずいていた。わたしはただにこにこしているばかりであった。

タイという国は、その理由は定かには知らないが、こういったトランスジェンダーの方々が、自分を隠すことなく生きていける社会であるように、私は感じている。町のあちらこちらで明らかにそうと思われる人々が、違和感なく暮らしているのをよく見かける。周りの人達もほんとに普通である。そういう社会に希望をもって世界中から人が集まってきているという話も聞いたことがある。

大学の教室にもいつも何人かはそういう学生がいる。教室の中でも、ご本人も周りの学生たちも、特に何の違和感もなく、日常を過ごしている。素敵な社会だな、と思ったことを思い出した。


2023年11月8日水曜日

まあ、いいや

 

#タイ #1997 #かん違い #ご当地語 #発音 #日本語ムズカシイ #HOSHI TORU

 

日本語教師ならだれでも経験があるだろうが、日本語コースの初級後半とか、中上級ぐらいになった学生から「日本語は難しい」とか「難しすぎる」とか、弱音とも抗議ともつかないコメントを聞かされることがある。時によっては初級の最初の段階から、そういうことを言ってくる学生がクラスに一人ぐらいいることもある。そうしたときにどういうリアクションをとるかは教師によっていろいろだと思うが、私の場合、おおむね「日本語が難しいんじゃなくて外国語はみんな難しいんだよ。あなたたちは日本語が難しいと思っているけれど、私から見れば○○語(学生の母語)のほうがずっと難しいと思うよ。私の○○語より、あなたの日本語のほうが100倍じょうずだよ。」というような答えでお茶を濁している。あるいは居直り方式をとって「難しいでしょ?だから勉強するんでしょ?簡単なら学校に来なくても一人で出来るでしょ?難しいから面白いんじゃないかな。」みたいな。実のところ、一番声を大にして言いたいのは「日本語が難しいだって?そんなの私のせいじゃないから」と言い放ってしまいたいのだが。

タイのバンコック郊外にあるタイ商工会議所大学と言う、比較的裕福な会社経営者の子女たちが多く通う大学の日本語学科で教えていた時がある。ある夏、普段の日本語専攻の学生ではなく、他学科の教養科目として日本語の短期コースを担当したことがある。ほとんどはゼロ初級の学生ばかりで、初日はお決まりの挨拶と自己紹介から入るはずだった。ところが出席をとり終わって、いざ授業にかかろうというところで、1人の男子学生が「先生、日本語は難しいですね。」と英語で話しかけてきた。ゼロ初級なので英語なのだが、その当時のタイでは英語でコミュニケーションの取れる学生はそれほど多くなかった。ゼロ初級なのになぜ日本語が難しいという判断ができるのか興味深かったが、私はとりあえず上に書いたような受け答えをして、早く授業に入ろうと若干苛ついていた。英語でやり取りをしているうちに、もう授業時間が15分以上過ぎてしまっていた。ほかの学生の手前もあり、このやりとりをもういい加減切り上げたかったのだ。そこで、彼はまだ何か言っていたが、私は「まあ、いいや。それでは、みなさん・・・。」と全員にむかって切り出した。すると、件の男子学生が、どうやらさらに食い下がってきた。今度はタイ語で「ヤーㇰ!ヤーㇰ!」と言っている。『ヤーㇰ』がタイ語で「むずかしい」の意味だということは知っていた。語末の小さい「ㇰ」はいわゆる内破音と言って、破裂音の「ク」と調音点は同じだが、息を外に出さず口の中で呑み込むように発音するので、外からは実際には聞こえない。

「そうか!」その時私は気が付いた。私が「まあいいや」と言ったのを彼はタイ語の「マイ ヤーㇰ」(「むずかしくない。」マイは否定の助動詞)と聞いたのだ。日本語の(関東語の)イントネーションで「まあいいや」と言うと、まさしくタイ語の、正しい声調の「マイ ヤーㇰ」の発音に聞こえてしまうのだ。

私の忘れられない瞬間!

 このブログは海外で日本語を教えたり、海外で日本語を学ぶ人たちと関わったことのある日本語教師の、現地での忘れられない瞬間を共有する場所です。 あの時、あの場所での、忘れられない瞬間、心から離れないエピソード、目に焼き付いた情景、人生の宝物のような永遠に止まった時間・・・etc.e...