#タイ#1996 #悪夢・トラウマ #迷子 #ご当地語 #文字・数字・番号 #hoshitoru
この歳になるまで(どの歳だ?)長い間、日本語教師をしてきたが、30年前にタイの大学で日本語を教えて以来、いまだに繰り返し見る悪夢がある。それは「ある朝」の大学の1限の授業開始の5分前という緊迫した状況からスタートする。今日の担当クラスの教室はどこだったか、教員室の壁に貼ってある教室一覧表を見るのだが、さっぱりわからない、さて困った。当時、困ったときは、いつも同僚のタイ人教師に聞けば大抵の問題は解決するのだが、朝は皆、早々に自分の受け持ちのクラスへ行ってしまい、教員室にはだれもいない。そうこうしているうちに授業開始1分前になり、ついには開始時間が過ぎてしまう。とりあえず、先週と同じ教室に行けばよいだろうと思い、教科書と大量のプリントを抱えて廊下を歩き始めるのだが、はて先週の教室は何階だったか?、地下だったか?、あてずっぽうで行ってみるが、どうもそれらしい部屋が見当たらない。他のフロアも試してみるが、日本語の授業をやっていそうなところはどこにも無い。大学の建物は巨大で、しかもいくつかの棟が複雑につながっている。いつかは自分のクラスを発見できるだろう、顔見知りの学生たちがいたら入っていって、さて何て言い訳したらいいだろう?などと考えながら、速足で歩くのだが、一向に目的地に到達しないまま授業時間が15分、20分と過ぎてゆく。そもそも自分の目的地はどこなのか。夢の中の自分は焦りながらも「まるでカフカの小説の主人公みたいだ」などとくだらない妄想に少しだけ浸る。人間、焦りが極限に達すると、どうでもいい無意味なことを考えるという「自己制御本能」が発動するらしい。「うむ、さすがにこの時間になると学生の誰かが、異変を感じて教員室へ向かっているのではないか」とは思うものの、今から教員室に戻るのにさらに20分以上かかるだろう・・・。その上、今自分がいる場所から元の教員室にちゃんと戻る自信すらない。このまま授業の終了時間まで、いやきっと永久に、自分はどこへも到達できないだろうと、まるで砂漠の中心で叫んでいるように、キャンパスの一角で絶望している自分がいる・・・というのが、ざっとかいつまんだエピソードである。
この悪夢は、夢らしくかなりの誇張があるにしても、タイ時代に実際に経験した事実に基づいている。この経験が自分の中でトラウマとなり、夢の中での自分は、迷路のような大学構内を亡霊のように永遠にさまよい続けているのである。繰り返し見る夢は、タイの大学ばかりでなく、他の国での所属機関であったり、日本の、その時その時に所属している日本語学校だったりと、さまざまなバリエーションがある。
そもそも、なぜこのような事態に至ったのか。それはひとえに当時の(今はどうか知らない)タイという国では、日常的に使う数字がアラビア数字でなく、タイ独自の数字を使っていたからなのである。というか、より公正な言い方では、タイへ赴任する際にタイ数字を学ばなかった自分が悪かったのである。タイ数字が読めなければ、教室番号も読めず、教室が探せないことは自明の理である。あの42個の子音と9個の母音や声調記号が組み合わさったタイ文字の勉強はある程度したものの習得したとは言い難い。しかし数字のほうは十数個覚えればよいわけで、頑張ればマスターできたはずなのに、あえて覚えようとしなかった自分は、タイ数字を甘く見ていたのだ。自分の中で、「世界ではどの地域でもアラビア数字が主流で、その国独自の数字があったとしても、日本語の漢数字と同様、やや特殊なケースしか使われないのだろう」という予断があったのだ。こうした予断はものすごく危険であると、今となっては声を大にして言いたい。タイだけではない。バングラデシュなどのサンスクリット語圏や、その他の東南アジアの国でも独自の数字がある言語は珍しくない。これからアジア圏へ出かけていく皆さんには是非とも申し上げておきたい。その国の言葉はマスターしきれなくとも、とりあえず数字だけは必ず覚えて行ってください!いいですか。