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2026年8月1日土曜日

アジュンマから電話です。

 #韓国 #2000 #ネイティブvsノンネイティブ #ご当地語 #そらみみ#かん違い#HOSHI TORU

私が韓国にいたのは時代が20世紀から21世紀に変わるちょうどその境目あたりだった。その当時、私はソウルの日本大使館付きの公報文化院、通称「日本文化院(イルボンムナウォン)」というところで日本語教育アドバイザーなるお役目を仰せつかっていた。ただし、そこには日本語教育というよりはもっと範囲を広げて、「日本語何でも相談室」的な問い合わせ電話や訪問者が毎日のように殺到した(というほどでもないが)。第2次世界大戦の悲しい歴史にもかかわらず日本語好きのおじいさんおばあさんが戦前から戦時中の読み物(「少年剣士」ものとか)を大事そうに持ってきて「ここの意味は何だ」とか、(超なつメロの)『ここに幸あれ』の歌詞のこの部分が分からないので教えてくれとか・・。事務所には、チュウミンジャさんというほぼ韓日バイリンガルで才色兼備の若い女性秘書(と思ったらとっくに一児の母だったと後で知った)がいて、電話の取次ぎから何から何まで、至れり尽くせりのお仕事をしてくれていた。

ある日、本当に、本当にビックリしたのは、その年の翌年に開催が決まっていたプサンのアジア大会の開催委員会の幹部の方からの問い合わせだった、電話での問い合わせを受けたチュウミンジャさんが、おもむろに私の方を向いて「先生、『おそそ』というのは女性性器のことですか?』と聞いてきた時だ。チュウミンジャさんは生まれも育ちも外見も心も、大和撫子も顔負けぐらいにお淑やかな女性で、そのチュウさんのお口からそのような言葉が飛び出すなんて、まさに青天のヘキレキのようなものだった。まあ、韓国人の女性は日本女性と比べて、何事にも屈託がないという証拠のようなものだった。もし日本人の女性秘書だったら、もうちっと、その、遠回しに聞いてきたのではないかと思います。要は、プサンの大会ポスターか何かのキャッチコピーに『OSOSO!』(オソソ!)という言葉を使う案があったらしいのだ。韓国語で『ようこそ』を表す『オセオセヨ』の短縮形らしいが、おそらくどこかの日本通がこのキャッチコピーに待ったをかけたということだったのだろう。ちょっと気圧されてしまった私は、インターネットで検索し、あたかも初めて知った風に、「是なり」とチュウさんに伝えた。

このチュウミンジャさんが、また別の日、電話を受けて、いつになく忌々し気な様子で、『先生、お電話です』と言ってきた。はて、先方の名前を確認しないなんてチュウさんらしくないなと思って、『え、どなたから?』と尋ねると、『アジュンマ』とチュウさんは吐き捨てるように言った。『名前を聞いても「アジュンマ」しか言いません。』韓国語で『アジュンマ』というとおばさんのことだが、これは日本語の「オバサン」同様、親戚のおばさんだけでなく、近所の、あるいは街を歩いている中年の女性を、親しみ(?)を込めて呼ぶ「オバちゃん」とか「オバハン」とか「オバタリアン」(古っ!)に匹敵する。『えー?いったいどこのアジュンマ?」と思って電話に出たら、一気に謎が解けた。なーんだ、それか。ちなみに、韓国人を教えたことのある日本語教師ならよくご存じと思うが、韓国人の発音の癖として「ズ」と「ジュ」が区別できない人が多い。さすがのチュウさんもその傾向からは逃れられなかったのだ。電話の相手は何のことはない。当時親しくしていただいていた日本語教師の「東(あずま)先生」でした。(^▽^)/


2025年3月7日金曜日

ベルト無いがあ!

ベルト無いがあ!

#バングラデシュ #1990 #タイムスリップ #そら耳 #ご当地語 #hoshitoru

バングラデシュに住んでいたのは1989年から91年の2年間、ちょうどヨーロッパではベルリンの壁が崩壊してからソ連邦が解体されるまでの間、日本では高度経済成長が完成し、バブルの絶頂期に向かう時期だった。一方バングラデシュは、そんな世界の情勢にはお構いなく、十年一日、いや百年一日のごとく経済は停滞し,社会は閉塞していた。そんな世界で自家用車のオーナーになるのは当時のバングラデシュの庶民にとっては高嶺の花なのだが、私は日本車のオーナードライバーであった。といっても超中古のポンコツのダイハツシャレードを乗り回していただけだが、少なくとも私の車はフェンダーミラー付きではあった。なぜフェンダーミラー付きとわざわざ断るかと言えば、当時首都ダッカの町を走っていた車の、とくにタクシーのほぼ100%はフェンダーミラーがなかった。おそらく現地の中古者ディーラーが取り外して家庭用の鏡として売り飛ばしたか、運転手自らが自分の家の洗面台用に使っていたかのどちらかである。ちなみに運転席のバックミラーはついてはいるが、それは決まって明後日のほうを向いている。つまりダッカの運転手はミラーというものを見ないのだ。バングラデシュの車社会には独特の文化があって、日本とは全く違っているのだが、こんなバングラ話をするとたいていはホラ話と思われるに違いない。例えば、左右の指示灯を点滅させる、いわゆるハザードランプはバングラデシュでは直進の意思表示に使われる。また、クラクションは主に車道を平気で横切ろうとする歩行者を追い払うために使うのだが、もう一つの機能として、車が発進するときの掛け声代わりに用いられる。そのため、交差点で止まっていたすべての車が、信号が青になったとたんにハザードランプを点滅させながら、一斉にクラクションを鳴らすという現象が起こる。

ところで、現地の言葉であるバングラ語は日本語とは全く系統の異なるサンスクリット系の言語だが、たまたま日本語と類似している特徴もある。例えば語順は日本語と同様SOV(主語―目的語―動詞の順)だし、否定の助動詞は文末にーnaまたはーnaiをつける。例えば、「私はご飯を食べる」は”Ami(私)Bhats(飯)Kai(食べる)”だし、「私はベンガル語を話さない」は”Ami(私)Bangoli(ベンガル語)Bori(話す)Na(ない)”である。ついでにお茶はベンガル語でも”Cha”と言い、「お茶が無い」は”Cha(茶)Nai(無い)”だ。

ある日のこと、私のポンコツ車がモウレツ元気がないので、かかりつけの修理屋に持っていった。その修理屋は、わがポンコツ車のつるつるになっただるまタイヤがパンクするたびに何度も何度もゴムで穴を塞いで再生してくれたすご腕の職人だ。彼はその時、車のボンネットを開けたとたん、口をあんぐりとあけて「ベルト無いがあ!」と叫んだのだ。一瞬私はタイムスリップした心持ちになった。「え、ここはどこだっけ?たしか、日本ではないはずだが…。」しかし、そこはまぎれもなくバングラデシュのダッカだった。そのおっちゃんはまぎれもないベンガル語で”Beruto(ベルト=空冷のファンベルト)Nai(無い)Ga!(感嘆詞)”と言ったのだった。


私の忘れられない瞬間!

 このブログは海外で日本語を教えたり、海外で日本語を学ぶ人たちと関わったことのある日本語教師の、現地での忘れられない瞬間を共有する場所です。 あの時、あの場所での、忘れられない瞬間、心から離れないエピソード、目に焼き付いた情景、人生の宝物のような永遠に止まった時間・・・etc.e...