2025年11月11日火曜日

私の忘れられない瞬間!

 このブログは海外で日本語を教えたり、海外で日本語を学ぶ人たちと関わったことのある日本語教師の、現地での忘れられない瞬間を共有する場所です。

あの時、あの場所での、忘れられない瞬間、心から離れないエピソード、目に焼き付いた情景、人生の宝物のような永遠に止まった時間・・・etc.etc.をみんなで紹介しあって、ワクワク・ドキドキしたり、ゲラゲラ笑ったり、しんみり考えさせられたりしましょう。

読んだ感想や、自分もこんなことがあったよと言うコメントや質問など、どしどしコメント欄に書いてください。 



Your Lights!

 

#アメリカ #1980 #ネイティブvsノンネイティブ #ご当地語 #HOSHI TORU

外国語を学んでいる人が誰でも思うことは、「ネイティブってかっこいい!」ということではないだろうか。今でこそ外国語教育の世界では多様化が普通のこととなり、「ネイティブ神話」というようなイメージは否定的な扱われ方をしている。それでもなおかつ、真摯に外国語を学んでいる人は時として、やっぱりネイティブの喋りや発音にあこがれる気持ちは捨てきれず、「いつかあんな風にしゃべれるようになりたい」と思ってしまうものだ。発音だけではない。英語でいえば、いわゆる3人称単数現在の“-s”とか、過去と現在完了の違いとかをさまざまな場面に応じて普通に使い分けるのを目の当たりにして「かっけー!」と心の中でつぶやいてしまう。例えばアメリカで映画館の座席に座っていたとき、前を横切った夫婦が“Excuse me!”ではなく、普通に”Excuse us!”と言って通り過ぎたときなど、「おお、さすがネイティブ!」と感動した記憶がある。裏返して日本語の学習者から見れば、われわれネイティブ日本語話者があの訳の分からぬ「てにをは」を普通に使いこなしたり、自動詞と他動詞の不条理をものともせずに使い分ける等の技は、「日本人、かっけー」と思われているのではないだろうか。(ないか。)さて、アメリカ滞在中に「さすがネイティブ」と思わせられた極めつけの体験をご紹介しよう。今を去ること40年前のある夕方、サンフランシスコ郊外の住宅街を中古のポンコツ車を駆って家路を急いでいたときのこと、夕闇が思いのほか早く訪れていたのに気づかずヘッドライトを点けずに交差点を横切ろうとした瞬間、あやうく横断歩道に飛び出そうとした(たぶん)白人の男性が間髪を入れず大声で叫んだことばは、“Your lights!!!” だった。日本人だったら慌てて「ライト!」とか「あぶない!」ぐらいしか言えないシチュエーションである。この危機一髪の状況、こんな切羽詰まった状況でも、yourlightsという、いわゆる<所有形容詞+名詞+複数語尾>という由緒正しいネイティブしゃべりが咄嗟に出てくるんだという感動がいまだに心から消えない。

ノンネイティブの逆襲

 

#アメリカ #1980 #ネイティブvsノンネイティブ #ご当地語 #HOSHI TORU

ネイティブが絶対使わない教科書英語の筆頭といえばWhat time is it now?”の右に出るものはない…と言われている。これを私は実際のネイティブスピーカーとのコミュニケーション場面で使ったことがある。例によって、今を去ること40年前、アメリカはオレゴン州のポートランドで一人暮らしを始めたころのことである。

ところで、電子時計やスマホが当たり前の現在では利用することはまずないだろうが、皆さんは電話の時報サービスというのをご存じだろうか。日本ではダイヤル117を回すと(押すと)「…ピッピッピ、ポーン、〇時〇分〇秒をお知らせします」というアナウンスが10秒刻みで一日24時間、一年365日、1秒も休まず流れている。このサービスは半世紀以上も前から電話回線を通じて行われていたが、電波時計のある現在でもまだ続いている。(ちなみに117番は時報、177番は天気予報なので念のため。)昔はこの時報サービスを聞きながら、自分の腕時計の時刻合わせをしたものだった。

さてアメリカ生活を開始した最初の週に時刻合わせをしようと思い、「この州では時報は何番にかければよいのだろう」と、イエローページを開いてみた。ご承知のように(?)広いアメリカでは州によって公共サービスのシステムが違うのと、日本よりも何十年も早く公共サービスの民営化も起こっていたらしい。その結果、電話帳で調べた時報サービスの番号は日本のように3桁ではなく、一般の電話番号のように市内局番から始まる8桁ぐらいの数字で、桁が多いだけに間違いやすい。しかも当時は「♪ダイヤル回して」かける式の電話機であったから、なおさら間違いやすい。かくして、私が回した番号の相手先は、時報サービスなどではなく、どこかの企業の事務所であった(らしい)。相手の声は、(おそらく)企業名や部署名のあと営業的な口上をペラペラ述べたらしく、もともと対話をする気ゼロの私には、何のことやらさっぱり聞き取れなかった。私は「失礼、番号を間違えました」と英語で言いたかったが、その言葉が思いつかない。それもそのはず。そのような表現は私の頭の中にインプットされていなかったのだ。ただ、だまって電話を切るにはあまりに良心の呵責があった。相手もビジネスとはいえあんなに愛想の良い声で応対してくれているのに…。そこで私が咄嗟にとった行動はというと、当初のミッションを完遂することであった。つまりこの相手に時刻を聞いてしまえば一石二鳥ではないか。そのとき私の口から出た言葉が例の“What time is it now?”であった。相手は、一瞬あっけにとられた様子で、3秒ほどの沈黙の後、たぶん“キミは時間を知りたいのね?”と言う意味の言葉を半ば悲しそうな声で念押しした後、時間を教えてくれた。まさにノンネイティブがネイティブを3秒間黙らせた「勝利の瞬間」であった(?)。ちなみに、教えてもらった時刻は、受話器を置いたとたんに忘れ去ってしまった。

「お・も・て・な・し」は「あ・り・が・た・め・い・わ・く」?

 

#アメリカ #1980 #ネイティブvsノンネイティブ #ご当地語 #発音#HOSHI TORU

今を去ること四十余年、生まれて初めて飛行機に乗り、生まれて初めてアメリカの地を踏んだ時の思い出である。若いころは「自分は月にも行かないし、外国にも行かない」と決めていた私だったが、諸般の事情から単身アメリカ行きの飛行機に乗る羽目になった。だから、ロスアンジェルス国際空港に到着したときは、英語のネイティブスピーカーに対する警戒心、恐怖心がマックスであった。一応渡米前に英会話を習い、TOEFLの試験も受けたが、どうせ自分の英語が通じるわけはないと思っていた。さて空港で一念発起してレストランで食事をとろうと思ったとき、大きなスーツケースをコインロッカーに預けたいと思い、さらに一念発起して、空港職員の制服を着ている黒人男性をつかまえて「コインロッカーはどこか」と問うてみた。どうやら「コインロッカー」が通じなかったと見え、その黒人男性はこちらをじっと見たまま何も言わない。「ロッカー、ロッカー」と繰り返してみたが、相変わらずこちらをにらんだまま何も言わない。心なしかその目には英語の下手な東洋人に対する差別的な雰囲気が漂ってきたように感じた。しまいには彼は何も言わぬまま鼻をひくひくと動かし始めた。これは、おそらく差別的態度をとられているんだと思い、何とかこの場を立ち去ろうと思い始めたとき、かれは突然晴れやかな笑顔になり、“Ah, Locker!”と言って、丁寧に方角を示してくれた。自分では”rocker”でなく”locker”といったつもりだったのに・・・。その数日後、ある大学の学生寮のなかのカフェテリアでの事。「これをください」と何種類かあるランチプレートから料理を選んだ。そこにいた黒人男性のアルバイトらしきスタッフから、サラダはいるのか、ドレッシングはどれにするか、スープはどうだ、飲み物はどうするという、お決まりの質問攻めが来た。ほとんどは何とか切り抜けたが、一つだけ彼が何を言っているのかさっぱりわからないので、何度も聞き返した。相手は何やら「テイトウ、テイトウ」というような言葉を繰り返している。「テイトウって何だ?知らない単語だなあ」・・・。最後に彼は見事に抑揚をつけた声でゆっくりと” p’Tei-Toe ”のような発音をして、ケースの中にあるマッシュポテトを指し示した。今思えば、彼はpotatoの発音が聞き取れない外国人のために、言葉を強調して発音してくれたのだが、その強調の仕方が、あくまで英語のアクセントや抑揚を際立たせる方式だったために、残念なことに日本人の耳には、余計に分かりにくくなってしまったのだ。外国人にはっきりわかるようにと思って、ネイティブが考える強調の仕方は、あくまでその言語の音声体系の特徴を際立たせるので、ノンネイティブにとっては逆に「ありがた迷惑」なケースも多いのではないか。そう考えると、日本人がノンネイティブに対する思いやりから、言葉を区切って強調する「に・ん・じ・ん」とか「お・も・て・な・し」なんかも、日本語のノンネイティブには「ありがた迷惑」かもしれない。

私の忘れられない瞬間!

 このブログは海外で日本語を教えたり、海外で日本語を学ぶ人たちと関わったことのある日本語教師の、現地での忘れられない瞬間を共有する場所です。 あの時、あの場所での、忘れられない瞬間、心から離れないエピソード、目に焼き付いた情景、人生の宝物のような永遠に止まった時間・・・etc.e...